気になるお城、行ってみた。
みなさん、こんにちは、こんばんは。
SLYです。
今回は、以前ブログに書いた【松本にあったお城】の中から気になるお城に実際行ってきたのでそのリポートを!
名前が気になりすぎたので
今回ご紹介する気になるお城はです。
なんせ名前が気になりすぎる。
お城としてはダメな名前なのでは…というより、縁起悪すぎる。
だから行ってきました。
早落城とは?
現地リポートよりまずは一体早落城とはどんなお城なのかをご説明していこうと思います。
早落城は松本市洞という場所にあります。
トトロが出てきそうなのどかな場所です。
きれい!
Google先生の力を借りながら先に進みます。
発見(゚∀゚)!!!
おぉ……
なんか神社っぽいような…
この【早落城】とは一体どんなお城だったのでしょう?
このお城は稲倉城の支城として建てられたお城。元々は【洞城】という名前があったのです。
築城年は不明。築城主は赤沢氏。
赤沢氏は伊豆、赤沢郷の生まれ。が、当時浅間や本郷地区を治めていた四宮氏を討伐したことで、この地を治めるよう見舞ったそうな。その後、信濃の守護、小笠原氏の家臣となります。
1400年、当主の赤沢秀国は討死。
その後阿賀早良市の逃亡やお家騒動などいざこざを経てご近所の同族、伊深城の後庁氏にお城を奪われてしまう。(これは小笠原氏の命令で、後の赤沢氏の謀反の一因になる。)
赤沢氏はじっと小笠原氏の支えてきたのに全くひどい話である。
そして、武田信玄の信濃攻略が本格化してくるとここぞとばかりにあっさり武田軍び寝返る赤沢氏。そりゃそうだ。
そこで勝手知ったるなんとやら、で【あっ】という間に洞城を攻略。もともと自分の居城。弱点も知り尽くしているからこその早業。
そこで付いたのが【早落城】という不名誉な名前。
廃城は1582年。これは、赤沢氏の謀反が小川絵嵐にバレて赤沢氏、切腹、そして滅亡。という流れになったため。
上の写真は早落城入り口。
行ってみよう。
下から見上げた入り口。こわっ。高っ。急だし。凶ホントは来る予定じゃなくて急遽来ちゃったからパンプスだし…と一瞬混乱。
登りました。せっかく来たし。
そしたら丁寧な看板。簡潔でわかりやすい。
そしてさらに階段の上に社が。
なぜならここは、住吉神社。
……てん
ん???
この住吉神社は早落城の入り口なのです。
この石碑ももちろん住吉神社内。
まずは社に手を合わせることに。
参詣して振り返るとこんな景色!!!
思わずひぐらしの鳴く頃にというゲームを連想してしまうような景観。(ひぐらし好きな人、どれくらいいるんだろう。笑)
この上に登るとさらの城址は続いているんだ↑えど今回はここから先は断念。パンプスだし、軽く登山だし。
私が入ったのと反対側にも入り口があってそっちからのほうが上まで行きやすい模様。
やっぱり下調べは大事だった、と気付かされた今回のお城攻略。
それでは最期に近隣の風景の写真でお別れです。
車一台がようやく通れる道幅。家の造りがかなり昔風のお宅ばかりでした。
庄屋さんとかだったのかも…
ここに見える山に早落城があります。
今回はこのあたりでおしまいです。
ではまた次回!!!