SLYの花魁譚 壱
みなさんこんにちは、こんばんは。
SLYです。
今回は今も多くの人々を魅了する『花魁』について紐解いてみようと思います。
かくいう私も花魁文化は大好き。
舞妓さんや芸妓さんとは全く違う種類の魅力に溢れています。
ただし、『憧れ』なんてお気楽に言えてしまうのも今私達が『身売り』されない平和で安定した時代、国に住んでいるからこそ。
当時の花魁さんたちはその美しい見た目からは想像もできないほど過酷で悲惨な生涯を送った人も多かったのです。
今回は【花魁】とはそもそも何なのか、というお話。
そもそも花魁って?
最近は花魁姿で写真を撮影できるサービスや成人式での花魁姿、浴衣での花魁風の着方などなど、様々なところで目にする『花魁』。
そもそも花魁とはどんな人達なのでしょう?
まずはじめに『花魁』というのはものすごーーーく限られた女性にだけ許された、いわば『肩書』のようなものです。
花魁の職業は皆さんも御存知のように現代でいうところのソープ嬢に近いものです。
江戸の時分、彼女たちを総称して『遊女』(ゆうじょ、あそびめ)と呼ばれていました。
その遊女の中に細かい階級があり、そのトップに君臨していたのが『花魁』というわけです。
遊女たちの階級
遊女たちの階級は時代によって変わっていったようです。
『花魁』という呼び名は江戸、吉原特有のもの。
京や大阪では太夫と呼ばれていました。
そうは言っても、宝暦以前は吉原にも太夫がいたそうですが。
ここからご紹介するのは江戸後期の遊女たちの階級。
まずは
切り見世(きりみせ)。
最下級の遊女さん。端女郎(はしじょろう)、張り見世(はりみせ)とも呼ばれました。
見世の往来に面した格子の中で自分の姿を見せてお客を取りました。
その次は
部屋持ち(へやもち)。
これは部屋持ち女郎の略。局女郎よりは格上になります。
座敷持ち(ざしきもち)。
部屋持ちよりも格上です。
自分が寝起きする以外にお客をもてなす座敷を持っていました。
ちなみに最下級の局女郎は自分の部屋を持っていなかったようです。
附廻(つけまわし)昼三(ちゅうさん)呼び出し(よびだし)
この上位3つが花魁、と呼ばれました。
容姿に優れ、教養もある遊女です。
自分から客を取ることはせずに、お客から呼ばれるのを待ちます。
こちらは明治になってからの花魁。
この頃には吉原で働く女性を総称して『花魁』と呼ぶようになっていたとか。
その他にもお店のランク、場所、時代によって呼び方は様々。
今回だけでは紹介しきれません(´・ω・`)
まだまだ今後も続く(予定)の花魁譚。
また次回をお楽しみに。