雑学

映画『関ヶ原』主演 岡田准一、主役は三成!2

みなばん、こんにちは、こんばんは。
WEBFACEライターのSLYです。
最近、石田三成についてのほんのさわりだけ記事を投稿してみました。
読んでもらえてたら嬉しい\(^o^)/
で、今回は……

まず家紋について。

これが三成の家紋だ!

 

はい、こちらですね。
この画像は前回も載せているので前回分も読んでくださっているかたは見覚えがあるはず。

こちらは
大一大万大吉

というようです。
読み方としては
だいいちだいまんだいきち

なんだか中国語みたいだと思ってしまうのは私だけでしょか(´・ω・`)

今回はこの家紋について詳しく説明していきましょう!

 

文字紋の一種

家紋の中で最もわかり易い字紋。
その名の通り文字を紋章化したものです。
信仰や縁起担ぎから生まれたもので意味がわかり易いので当時から(いつ???笑)とても人気が高かったようです。
イメージとしては高島屋や三越。

あ、伊勢丹のもありますね。

文字紋にも種類があるようです。
今回の石田三成のようにただ字を描いているものから、三越や高島屋のロゴのように丸の中に一文字入れているもの、さらには他の図形の紋と組み合わせているものまで。
さて、文字紋についてざざっと説明したので次は家紋に込められた意味を追いかけてみましょう!

 

石田三成の家紋の意味とは?

一人はみんなのために、みんなは一人のために

どこかで聞いたような……

 

ちょっと雑談、この言葉の由来

これ、あれですよね。
One for all All for one ってやつ。
世界的に有名な言葉です。
こんな昔からこれを使っていた人がいたなんて。
気になったのでちょっと調べてみました。
この言葉が歴史の中で初めて公の場に姿を現したのは『ダルタニアン物語』(有名!)の第一部、『三銃士』(これまた有名!)の中、1844年のことではないかと考えられているようです。

調べているうちになんだか色々出てきました。
この言葉は特定の賢人が発した、という類の言葉ではなさそうです。
古代ゲルマン民族の伝承で航海する船乗りたちに由来する、という説なんかも。
これ以上この言葉の由来について話はじめてしまったらどんどん脱線してしまいそうなのでこの辺で次の話題へ。

しかし!これをさらに古くから使ってる人物も。
それは木曽義仲を倒したといわれる石田為久や五味氏うや山内氏なども使用していたといわれています。

 

その他にも。

さらにちょっと他の解釈なんかもあるようです。
大一大万大吉の中の『一』は『勝つ』と読む。
『万』は『よろず』。
万年の繁栄、演技の良い『吉』に更に『大』を冠する。
これぞ縁起担ぎのオンパレード!
これはそもそも石田家に代々伝わっていたものではなく、この記事の最初の方にもチラッと登場した、鎌倉時代の石田為久(石田違いです。)や五味氏なでがつかっていたもので、その意味を三成が気に入って使っていた、ということのようです。

実は家紋じゃありません

えぇーーーーーーーー?!
って、なりますよね。
私もなりました。
そうなんです。
これ、正確にいうと家紋ではありません。
今でこそ『石田三成=大一大万大吉』みたいになってますが。
これは戦のときに使う旗印なわけです。
武田信玄ならおなじみ『風林火山』、上杉謙信なら『毘沙門天』。
それと同じなんです。
この当時、決まった家紋をつけている人は少なかったようで(今とは大違い。)あのうつけ者と呼ばれた織田信長は7つ使い分けていたんだそう。

じゃぁ結局、石田三成の家紋は???ってなりますよね。

石田三成の『家紋』

これです。
九曜紋
こちら、家紋の種類としては『星紋』というものになります。
中央の星を他の八星が囲んでいる、という図案です。
元々はインドの天文学や占星術で扱われていたようです。
それが中国経由で日本へと伝わったとされています。
この九曜について調べ狂っていると日本神話も出てきたりしてかなり長くなってしまうのでそれはまたの機会にでも。
とにかく日本では平安貴族や武士などが信仰の対象として使っていたようです。
歴史上の人物だと伊達政宗や細川忠興などなど。

そして石田三成にはもう一つ使用していた家紋があります。
それがこちら。

下り藤
さがりふじ。まぁそのまんまですね。
こちらの家紋は『藤紋』と呼ばれるものでたくさんの種類があるようです。
平安時代に一世を風靡した(?)藤原氏に縁のある家柄が各々藤紋を使っているとのこと。

ただ、石田三成がこの下がり藤を家紋として使用していたかどうかは実は定かではないのです(゚∀゚)

江戸時代に描かれた関が原の合戦の屏風絵に描かれているだけなのです。
しかし!三成は一時期『藤原三成』ち名乗っていた時期もあったのでこの家紋を使っていたというのも信憑性はありそうです。
残念なことに歴史的な一次資料に記述がないので真相は霞の彼方、ですが。

 

最後に…

どうでしたか?
私、案外歴史は好きな方なのに知らないことがまだまだたくさんあって驚きでした。
三成が藤原姓を名乗っていたなんて知らなかったし。
これだから歴史は面白い\(^o^)/
今後もどんどん記事あげていくのでお楽しみに♡