雑学

シリーズ松本城 vol.2 〜松本城築城〜

皆さん、こんにちは、こんばんは。

WEBFACEライターのSLYです。

シリーズ松本城、2回目の今回は松本城築城について。

 

松本市内の小学校などではざざっと歴史を学ぶようですが、私が小学校生活を過ごした隣の市では一切やらなかったので、大人になって県外の方に

「誰が建てたの?」

「いつできたの?」

などと聞かれても答えられず、地元の国宝なのに答えられないなんて……_| ̄|○

と感じたことがきっかけでお城に興味を持ちはじめました。

もちろん、子供の頃、遠足で松本城に上ったことはあったものの(おそらく中信地区の子供は全員遠足で行くはず。)当時はさして興味があるわけでもなく、記憶は廃れていく一方。

 

ということで、松本に住んでいながらも、築城主が誰だかわからない、ということがざらに起こってしまうのです。

 

前置きが長くなってしまいました。

では早速本題へ!

 

松本城を作ったのは…

 

 

この方。石川数正さん。

といっても、この方は『現在の』松本城を築城した方です。

この方だけではなく、

 

 

この方も。

この方は先程の石川数正さんのお子様です。

そして忘れてはいけないのが小笠原貞慶さん。

残念ながら画像が発見できずお顔立ちはわかりません。

 

『現在の』の意味。

石川親子をご紹介した際に『現在の』松本城の築城主と書いたのにはもちろん理由があります。

松本城は築城当初は【深志城】として誕生。

現在の松本市里山辺地区にあった【林城】の支城として建設されました。

それが1504年、と言われています。

最初の【深志城】を建設したのは島立一族。

ただし、その深志城からどのように現在の松本城に移行していったのかは文献などの資料にも記載がないため不明。

 

現在の松本城の姿や、今も面影のある城下町。

このように整備、改革されたのは1582年頃から。

松本城、と改名したのも1582年のこと。(ちなみに改名したのは小笠原貞慶さん。)

そこので尽力したのが本日ご紹介した3名、ということです。

なので『現在の』松本城の築城主、というちょっと変わった名称になってしまいました。

 

さて、今回はこれにて終了です。

また次回!

最後に石川さんと小笠原さんの家紋の画像でさようなら。

 

 

 

こちら石川さんの家紋。源氏の代表紋と言われる笹竜胆。鎌倉市の市章にもなっていますね。

 

 

こちら、小笠原さんの家紋の三階菱。